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「戦国最強」と謳われし軍団を率いて、戦国の世を駆け抜けた武田信玄。
今回は、その怒濤の生涯を、ライバルの攻防を交えながら振り返ってみたい。
北信濃の戦国大名。信濃に侵攻してきた武田信玄の壁となり、2度打ち負かした。血気盛んな性格で、戦いにおいては自ら先頭に立って敵陣に切り込むような猛者であった。長槍術の達人で、戦場で長槍を用いた戦術の創始者のひとりとも目されている。
最初のライバル
父親を追放するという形で甲斐の戦国大名としてデビューを果たした武田信玄は、隣国信濃への侵攻を開始すると、破竹の勢いでその勢力を広げていく。だが、ここで最初の壁にぶつかることとなる。それが北信濃の猛者・村上義清である。
力攻めで大敗...ならば調略で
村上義清に生涯初の大敗を喫し、苦汁を舐めさせられた武田信玄だったが、力攻めではなく調略によって村上義清の打倒に成功する。だが、村上義清が越後に逃げたことにより、武田信玄の生涯のライバルとなる上杉謙信との長き戦いが始まった。
越後の戦国大名。武田信玄とは川中島にて5度に渡り刃を交える。義に厚い高潔な人物として知られており、軍神と称されるほどの天才的な軍略家でもあった。若い頃から仏門に入り、毘沙門天を熱心に信仰しており、軍旗には「毘」の文字をあしらっていた。
5度の戦いで、認め合う二人
上杉謙信とは5度に渡り川中島で激戦を繰り広げることとなった。この戦いのなかで両者はお互い認め合う関係となり、塩不足に悩む信玄に対し、上杉謙信が塩を提供するという「敵に塩を送る」の語源となる逸話も生まれた。
その後、「桶狭間の戦い」で今川義元が死去したことを好機と見た武田信玄は、上杉謙信との戦いを中断し、関東へ兵を向ける。そして、かつては同盟関係だった北条家と一戦交えることになるのだった。
相模の戦国大名。甲斐の武田家、駿河の今川家を交えて、甲相駿三国同盟を結ぶ。やがて同盟は破綻し、ここに越後の上杉家を交えて、関東の覇権を争った。領内の検地を徹底して行ったり、目安箱を設置して領民の意見を聞くなど、名君として知られる。
武田信玄とは戦わなかったが、その子・勝頼と「長篠の戦い」で雌雄を決することとなる。 武でもって天下を制する「天下布武」をスローガンに掲げて覇道を歩んだ戦国の風雲児。鉄砲の有効性をいち早く見抜いたり商人街・堺との取引を密にするなど、型破りな戦略でその勢力を広げていく。
天下取りを前に...
足利義昭の織田信長討伐令に応える形で武田信玄は徳川家康領である遠江・三河への侵攻を開始。徳川家康を「三方原の戦い」で散々に打ち破り、いよいよ織田信長と激突か? と思われた矢先に陣中で病に倒れる。やむなく甲斐への撤退を決めるが、その帰路にて信玄は帰らぬ人となってしまった。享年53。地固めによりその名を轟かせ、いよいよ天下獲りに出ようとする直後の惜しむべき死であった。
最後に、武田信玄をより深く知ることが出来るかもしれない、3つの豆知識をご紹介しよう。
その1 "人心"を何よりも大切にしていた
武田家の軍記『甲陽軍鑑』に書かれた信玄の言葉として「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と記されている。これは、"人が集まれば城となるほどの力を得るが、人心は移ろいやすいために敵にも味方にもなり得る"という意味で、このような言葉を残すほど、信玄は人の心を大切にしていたという一面を持っており、実際、家臣たちに対してだけでなく、攻め取った土地の領民に対しての心配りなども怠らなかったという。
そんな信玄だったからこそ、誰もが心服できるほどのカリスマ性を発揮して家中が一致団結し、「戦国最強」と世に謳われし軍団を作り上げることができたのだろう。
その2 武田二十四将
武田家臣団のなかでも、後世の講談や軍記において高い評価を得ている24人の武将を指して「武田二十四将」と呼ぶ。その人選は文献によって違っているので、きっちり24人いるわけではないのだが、その名を連ねるのは、戦国の世に名を残した猛者ばかりだ。信玄の右腕とも呼ばれた弟・武田信繁。村上義清との戦いにて砥石城を落とし、勝利の立役者となった真田幸隆。さまざまな策を講じて信玄を助けた天才軍師・山本勘助。配下の甲冑を赤で揃えた「赤備え」で、戦場を恐怖に染めた猛将・山県昌景など......。得難き人材を数多く揃えた信玄の懐の深さもまた恐るべしといったところだろうか。
その3 "風林火山"には続きがあった
信玄が軍旗に掲げた有名な文字が「風林火山」である。これは孫子の兵法より部分的に引用された言葉であり、実は続きがあることはあまり知られていない。「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知りがたきこと陰の如く、動くこと雷霆の如し」。「風林火山隠雷」これで全文であり、隠の意味は「敵の動きがわからない場合は影のように潜め」で、雷の意味は「攻撃の際は雷のように一気呵成に出て敵を混乱させよ」である。火と山でほぼ同じ意味とも取れるため、後半のふたつは割愛されたとも考えられる。
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