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新型コロナウイルスワクチンの普及によって、ゲノムに関する言葉を日常的に聞くようになった。職場の感染対策や科学研究の立場から、ゲノムについての意識はどのように変わったのだろうか。
——次に治療や予防について教えてください。
新型コロナウイルス対策としてワクチンが切り札となっています。三宅さんはDeNAでのコロナ対策本部長として、グループ全社での職域接種も先進的に進めてくださいましたが、先頭に立って実行した意思と大変さはいかがでしたか。
三宅:人々の生活を正常化に向けるためには現時点ではワクチンが唯一無二の武器なのだと思っています。さらに言えば集団免疫の概念で、8~9割がワクチンを受ければその集団では普通に生活ができると科学的に考えていました。その水準を達成させるためにもDeNAは少しでも早く多くの摂取を希望される皆さんにワクチンを届けられる環境を整えられれば、現在の窮屈な生活をしないで済むという想いを一番の原動力とし、優先してやるべきだと考え、先頭に立って旗を振りました。実際に色々大変なこともありましたが、やり切ってよかったと考えています。
——井元先生、新型コロナウイルス対策の切り札と言われるワクチンはmRNAタイプのワクチンです。これまでの生ワクチン(※)とは大きく異なるタイプのワクチンですが、先生の印象として、これまでよりもゲノムや遺伝子に対する注目度は上がっているように感じますか?
※生ワクチン:生きているウイルスや細菌の毒性や発病力を極度に弱めた(弱毒化した)ウイルスや細菌等を原材料として製造されたワクチンのこと
井元先生:間違いなく上がっていると考えています。とくにmRNAワクチンはゲノム研究から得られた産物であると考えていますので、自分にとっては衝撃的であり、今後のワクチン研究開発の方向性を変えてしまったのではないかとすら感じています。
——最も開発スピードが早い企業では、新型コロナウイルスの全ゲノム配列が分かってから、わずか数日で試作品となるワクチンを作り上げることができた、という報道もありました。
今後のワクチン開発においても重要なゲノムのデータベースやゲノムに対する考え方は日本ではまだ世界に対して遅れているのでしょうか。
井元先生:私は、データは抱え込むものでなく共有するものだと考えています。データ共有が開発速度を加速しますし、今回のような危機的状況においてはより促進するべきでしょう。新型コロナウイルスゲノムの配列は瞬く間に世界に共有されました。
また、変異が大きな問題ですから、患者検体から取得されたウイルスゲノム配列も今まで見たことのないスピードで共有されました。日本からも登録されましたが、まだスピード感は世界に追いついていないという印象です。
三宅:今回のmRNAワクチンで感じたこととして、一部では「遺伝子組み換え」という言葉にかなり大きな拒否反応があると感じているのですが、遺伝子を使ったワクチンというのは、同様な漠然たる不安の世論の中で、規制当局の審査をしっかり通過するには平時だったら10~20年ほどかかった可能性もあったと思います。
今回のコロナワクチンでワープタイムトンネル的に承認され、しかも多くの日本人が接種している現状があります。mRNAを使ったワクチンというのは、今後他の感染症やがんなど多くの分野で新たな医薬品を作り出すと思います。
その意味ではこの環境が生み出した新たな可能性もあると感じています。
井元先生:新型コロナウイルスは世界の危機ですが、それに対抗するために科学がものすごく早く進んだと感じています。我々は健康向上や医療のためにより良いものを作らねばならない、と強く考えています。
これからのwithコロナの時代、新しい生活様式はどうなるのか、各専門家の立場からの未来予測を聞いた。
——井元先生はコロナ制圧タスクフォースや海外との連携で日本に新しいエビデンスを出していく中で、この後withコロナの環境下で、研究者として考えている今後の活動について教えていただけますでしょうか?
井元先生:ここまでの活動を振り返って感じることですが、まずこれまで感染症対策とは、どこに何人患者が確認されたかをレポートすることでした。しかし新型コロナウイルスによるパンデミックに対応するためには、患者さんのヒトゲノム情報を含むような臨床情報をしっかり集めて未知のウイルスに関する研究ができるようにしなければなりません。
加えて、ウイルスゲノムに関しても、一人ひとりの患者さんに感染しているウイルスのゲノムをそのまま解析できるようになりました。今後はこれらの重要な研究データをしっかり取得し、蓄積し共有して即時性のある研究成果を出すことで感染対策に還元できるような体制を作らねばと思います。
三宅:新型インフルエンザ流行のときに、ウイルスゲノムを調べると、最初に国内で流行したウイルスとその後出てきたウイルスと株が違うので、感染爆発したウイルスは死滅して海外から再度入ってきたウイルスだというエピソードがありました。だから初期の大々的な学校閉鎖は成功だったという話をしていたのです。
それは学校閉鎖という対策行動の正当化になって良かったのですが、感染症の現場にいる者としては、ゲノムを調べることにより伝播の経路をたどることにより、国内の長距離移動による新たなクラスターや、海外からの流入によるクラスター等が分かるわけです。
今回、ウイルスゲノムやビッグテータ解析を疫学の判定調査に有効的に使うことで有事に対して適切な対策を講じるようにしないといけないと感じています。
欧米と日本を比較するとデータサイエンス、ビッグデータの解析に関しては異なる様相があるのでしょうか。
——米国にはジョンズ・ホプキンス大学など、ビッグデータを専門的に扱って研究しているメンバーが豊富に存在しますよね。日本に目を向けると、井元先生は日本の中心的存在であることに間違いはないと思いますが、いかがでしょうか。
井元先生:自分自身は多くの研究に携わっていますが、健康医療分野のビックデータ解析の人材は足りていないことを実感します。また、国内の様々なデータのアクセス権のガバナンスや解析を実施する計算機などの研究環境の整備にも課題が多い状態です。日本国内に現状存在するデータベース間の照合もIDの突合や項目の対応関係の整理ができていません。これができるとデータ連携が本当の意味で可能になり、もっとスピード感のあるエビデンス創出と対策立案ができるようになると考えています。
三宅:自分の経験を参考にする形になりますが、厚労省を辞めて民間(DeNA)に転職したのですが、民間に任せた方が解決することもたくさんあることを実感しました。官民連携は本当に重要だと身をもって感じています。
井元先生:あるスポーツのチームの試合であった事例を紹介します。感染経路が不明な事例が起こりました。このままではどういう場所でどのような行動を避けるべきという感染対策に繋げることができません。そこでウイルスゲノム解析を行うことを提案しました。ウイルスゲノムを比較することで感染関係が分かることがあるのです。すると、移動中のバスの中で感染拡大した疑いがあったのですが、バスの中ではなく、更衣室であるロッカールームで感染している可能性が高いことも分かりました。よってロッカーの換気対策を徹底するという対策を講じることができるようになりました。
ここで重要なのは、「誰が誰に感染させた」ということではなく、「原因を突き止めること」ですよね。人を糾弾したいわけではなく、ハイリスクな行動や場所を特定したいのです。
2009年に新型インフルエンザが日本ではまだ陽性者が出ておらず、最初の陽性例が発見されるかもしれないという時に、ある地区の学生さんが陽性かもしれないというニュースが報道されました。学生さんが通う学校の教頭先生が会見を開いて、涙ながらに「学生は陰性でした。」と会見で報告した場面があったのです。これははなんだかおかしいと思いました。
陽性者から聞き取った行動履歴や濃厚接触者のトラッキングは、もちろん機微情報です。プライバシーを担保して安心して情報を提供してもらえる仕組みを作らなければならなりません。感染することは決して一人の責任ではなく、誰もがリスクを持っています。一時期今回の新型コロナウイルスでも同様な風潮が見られました。プライバシーを明かし犯人捜しをするのではなく、私たちは感染症が広がる原因を追求し、抑制する方法を構築するために様々な研究を行っているのです。
——井元先生から、日本の中で遺伝子検査に期待したいことがあれば教えてください。
三宅さんからは、DeNAのCMOとして遺伝子検査に期待ことがあれば教えてください。
井元先生:遺伝子検査の一番の肝はその人の生まれ持った特徴を知ることができることです。ややもすれば病気のリスクなど怖い面が先行しがちですが、自分の特徴を知ることで人生にプラスになる可能性があります。
ゲノムから自分を知った上で、健康向上に繋がり、より楽しい人生を送ることができるはずだ、と強く考え、同じ志を持ちMYCODEというサービスを提供しているDeNAグループと共同研究を実施しています。
遺伝子検査の結果において、病気のリスク面と健康であることの楽しさの両面を伝えてくれることをDeNAには期待します。
今回新型コロナウイルス感染症の重症化SNPsについても連携しましたが、事実を伝え対策のために個人が何に備えれば良いのかを含めてナビゲートすることが重要かな、と感じています。
三宅:今後考えている未来像は、withワクチンwithコロナだと思っています。第6波が来るという環境を想定すると、ワクチンという武器を活用しながら生活していくしかないんだな、しばらくはこの繰り返しかな、と感じています。
完全終息の日まで、感染対策をしながらどういう風に普通の社会生活をするのかを社員や社員の家族に対してもやっていきたいと考えています。一案として、ワクチンの中和抗体がどれくらいもっているのかをみんなで確認できる状態にしたい、などあります。
世の中は情報が溢れていて、ややもすると何をしていいか分からなくなってしまいます。その中で自分ゴト化するのが重要だと感じており、オーダーメイドで客観的な体質を知ることは少なくとも間違えではない方向に自分を向かせることができると考えており、MYCODEがその一助になれば、とCMOとして考えています。
分かりやすい例を紹介すると、例えば肺がんリスクが高ければタバコを辞めやすくなったりとか。セレクティブに自分ごと化できる情報から見ることで、行動変容しやすくなると思います。
——最後に井元先生、今回の事例から、ゲノムデータ解析の重要性を始め、官民連携などワンチームとしての活動が重要である事をを改めて理解しましたが、オピニオンリーダーとして将来に期待していることを教えてください。
井元先生:教育者としてコメントすると、大学院に進む人が少なくなったことが挙げられます。たしかに少子化は進んでいますが、民間企業には若い世代がたくさんいて、日夜研究に励んでいるのだと思います。アカデミアの教員として、例えば医療関係のデータは大学に潤沢にあるので、民間企業と連携しながら新しい発見をしていきたいと考えています。
さらに、アカデミアに残り、大学教員として研究をするというキャリアパスの魅力をもっと発信していきたいと考えています。
【話者略歴】
井元 清哉(いもと せいや)
東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター健康医療インテリジェンス分野・教授
1972年生まれ。1996年に九州大学理学部数学科を卒業後、同大学大学院数理学研究科にて2001年博士(数理学)取得。専門は数理統計学。
2001年4月より東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターDNA情報解析分野博士研究員に着任しバイオインフォマティクスの世界に足を踏み入れる。
スーパーコンピュータを用い、ゲノムデータを解析する数学的手法の開発を行いつつ、腸内微生物叢メタゲノム研究、人工知能を用いたがんゲノム医療を東大医科研にて推進。全ゲノム解析等実行計画(2019年12月厚労省策定)に基づき実施されているAMED革新的がん「全ゲノム情報を患者に還元するためのゲノム・臨床情報基盤の研究」(解析班)代表者、解析・データセンターWG長。
新型コロナウイルス感染症は世界の危機との認識のもと、マスギャザリングイベントのリスクアセスメントを研究する有志研究グループ MARCO(MAss gathering Risk COntrol and Communication)代表者、コロナ制圧タスクフォース発起人、JST CRESTコロナ基盤研究代表者、東京iCDCボードメンバー、NPB・Jリーグ科学アドバイザーを務め、データに基づく科学的な感染対策の立案と新型コロナウイルス感染症のゲノム研究に日々取り組んでいる。
2015年より東京大学医科学研究所教授。2016年より厚生労働省医療統計参与。2019年東京大学総長補佐。2020年よりヒトゲノム解析センター長。
三宅 邦明(みやけ くにあき)
株式会社ディー・エヌ・エー
Chief Medical Officer(CMO)・Chief Health Officer(CHO)
DeSCヘルスケア株式会社 代表取締役医師
1970年生まれ。1995年に慶應義塾大学医学部を卒業後、厚生省(現 厚生労働省)に入省。医師免許をもつ医系技官として20年以上に渡り勤務。
メタボリックシンドロームなどの生活習慣病、新型インフルエンザなどの感染症の個別疾患の対策立案に従事。また、医療情報の適切な提供から医薬品・医療機器の開発支援に至るまで各種施策に携わる。消防庁、在比日本大使館、石川県健康福祉部にも出向。
インターネットやAIを活用し、人々が楽しく継続的に健康でいられる仕組みを民間の現場から提供したいという思いから2019年4月DeNA入社、Chief Medical Officer(CMO)に就任。
2020年2月より新型コロナウイルス対策本部長、同4月よりDeSCヘルスケア株式会社 代表取締役医師。
2020年8月には厚生労働省 新型コロナウイルスに関連した感染症対策に関する厚生労働省対策推進本部事務局参与に就任。
2021年4月よりDeNAのChief Health Officer(CHO)に就任。