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保険証を提示すれば、全国ほとんどの医療機関で保険診療を受けることができ、かかった医療費の1〜3割の自己負担で済む、日本の医療保険制度。この制度により、日本では国民全員の安全・安心な暮らしが保障されています。
ところが今、少子高齢化と医療費増大に伴い、現状の制度を維持できなくなる危機が迫っているといいます。現に、厚生労働省からは国民医療費*1の概算が2022年度は過去最高の46兆円であったことが公表*2され、医療費の適正化を呼びかけられています*3。
もし、医療保険制度の維持が難しくなったら、私たちの生活にどう影響するのでしょうか。厚生労働省で24年にわたって医系技官に従事し、DeNAでCMO(Chief Medical Officer)兼 CHO(Chief Health Officer)を務める三宅 邦明が、海外での例などを用いながら医療費適正化のためにできることを解説いたします。
*1 国民医療費の範囲と推計方法の概要:厚生労働省
*2「令和4年度 医療費の動向」を公表します:厚生労働省
*3 医療費適正化計画について:厚生労働省
ーー今回は日本の医療保険制度と課題について、今さら人に聞けない基礎的な話から聞いていきたいと思います。
三宅:まず、本題に入る前に、ひとつ想像してみて欲しいことがあります。突然ですが、1兆円ってどれくらい大きな金額だと思いますか?
非常に大きな桁数の数字なので実感がわきにくいかもしれませんね。
では、少し質問を変えます。1万円札を100枚重ねると厚みが約1cmになります。では、1兆円分の1万円札を重ねたらどれくらいの長さになるでしょうか。
答えは10km。東京駅から東京ディズニーランドまでの直線距離がちょうど約11kmぐらいですね。日本の国民医療費は、まさに毎年1兆円を超えるペースで増加し続けています。
因みに、消費税を1%上げると2.5兆円の増収になるんです。そう考えると、1兆円という金額がいかに大きいか実感できませんか。
ーー少子高齢化とはいっても、人口は縮小しているのに、なぜ1兆円も増え続けているのでしょうか?
三宅:一つに医療技術の進化が理由としてあげられます。医療の高度化が進むことで医療費も高額になりますが、そういった高額な医療も保険適応によって身近に受けられるということですね。実際、2022年度の人口1人当たりの医療費(概算)が 36万8,000円で過去最高額であり、今後さらにペースを上げて増加すると言われています*。
こうした費用は本来なら保険料で全額賄われるはずですが、不足しているため、税金や国債などで補充されています。2022年の内訳を例にあげると、医療費を含む社会保障費131.1兆円のうち、36.1兆円は国債で賄われました。国債を発行することで、将来世代に多額の借金をしながら凌いでいる状態です。
しかし、目の前の支出を払えない状態が何十年も続いているのに、誰がいつどうやって過去の借金まで返済できると考えられるでしょうか。ましてや、少子化により財源を支える側の人口が減っていくことを踏まえると、何かしらの手を打たねばなりませんよね。
ーー近い将来、私たち現役世代にはどんな影響が生じてきますか?
三宅:社員の場合は給料から天引きされている、毎月の社会保険料の負担額は変わってくると思います。
内閣府の将来見通しによると、2040年には給付費が190兆円(2022年131兆円)なること予測されていて、それを賄う社会保険料の見直しについても議論されています*。
この社会保険料の半分は雇用企業が負担しているので、負担額が増えれば私たちの給料だけでなく企業にも重くのしかかります。となると、日本経済にも大きなダメージを受けると考えられます。国民健康保険も同様です。
* 2040年を見据えた社会保障の将来見通し (議論の素材):厚生労働省
ーー日本の医療制度そのものに、何か問題があるのですか?
三宅:いえ、むしろ日本の医療制度そのものは、世界から賞賛されているくらいなんです。
日本では、全国民が公的医療保険*への加入が義務付けられていて、全員が保険料を支払うことでお互いの医療費を支え合う「国民皆保険制度」をとっています。国民全員の健康を公平に保障するという概念のもとで作られた制度です。
私たちは保険証があれば、医療にかかる自己負担は1〜3割程度の負担*2で済んでいますよね。実は高額な医療を保険適用によって誰でも少ない負担で受けられるこの環境は、世界では当たり前ではありません。しかも、日本国民の社会保険料の負担額は海外と比べると安いです。
高額な医療が1〜3割価格で提供されているので、そもそも供給と需要のバランスが捻れてしまっている。理想とされる医療保険制度を誇りながらも、現実に制度改革が追いついていないんです。
*1 公的医療保険制度は日本の全国民が加入を義務付けられており、「被用者保険」「国民健康保険」「後期高齢者医療制度」の3種類がある。
*2 医療費の自己負担割合は、年齢や収入によって「1割」「2割」「3割」に区分される
ーーもし医療保険制度が破綻してしまったら、私たちの生活はどうなるのでしょうか?
三宅:最も影響が大きいとされるのは、保険診療を受けられなくなることです。例えば保険適応で自己負担額が3千円程度だったのが、1万円くらいかかるようになります。
国民皆保険制度を取っていないアメリカでは、国民の大半が民間の医療保険に加入しています。しかし、保険料の高騰や失業を理由に無保険者になる人数が増加し、病気やケガを機とする自己破産を招いていることが大きな社会問題になっています。一方で医療においても自由競争を基本とするアメリカは、世界最高の医療水準を誇っています*。
日本はそこまで極端にはならないにせよ、保険適応される医療範囲や負担の割合に影響があることは大いにあり得るでしょう。多少なりとも医療格差も生じてくるのではないでしょうか。そうならないために国が医療保険制度の見直しを議論し、医療費適正化計画を進めています。しかし、それだけでは追いつかないので、私たち一人ひとりが医療費の高騰を抑えるための努力をする必要があります。
* 第2回 日本の医療制度はイギリスやアメリカと違う?:厚生労働統計協会
ーーでは、国民医療費の高騰を抑えるために、私たちがすべきこととは?
三宅:厚生労働省から提唱されている中から、3つお伝えしますね。
まずは、生活習慣病を予防すること。
国民医療費の3割を生活習慣病が占めています*1。また、症状が見えにくい糖尿病や高血圧が長く続くと、脳卒中や年間500万円ほどもかかる人工透析を必要とする腎不全などに進展してしまいます。こういった病気にならないよう予防するためにも食事や運動、休養、喫煙、飲酒などの生活習慣を整えることも将来の医療費削減につながります。
続いて、ジェネリック医薬品を活用すること。
ジェネリック医薬品は、先発医薬品と同等の効き目がありながら、半額からそれ以下で販売されています。安さの理由は、既に発見された有効成分などを元に開発されているためです。厚生労働省では、有効性と安全性を承認していますし、ジェネリックの普及を呼びかけています*2。
最後は、「かかりつけ医」を見つけることです。
日本では、病院の規模や診療科を問わず、患者が受診先を自由にえらべる「フリーアクセス」制をとっています。便利な反面、軽症を含む大勢の患者が大病院に集中し、勤務医の疲弊を招いていることが社会問題となっています。
地域の診療所などで信頼できる「かかりつけ医」をみつけて、その医師から必要に応じて専門医療機関を紹介してもらうこと。同じ病気で複数の医療機関を転々とする「はしご受診」や、割増料金のかかる夜間や休日の時間外に受診する「コンビニ受診」をなるべく控えることも、厚生労働省から推奨されています*3。
*1 生活習慣病とは?:厚生労働省
*2 政府広報オンライン
*3 外来医療のかかり方に関する 国民の理解の推進について:厚生労働省
ー最後に、三宅さんご自身は日々どのようなことを意識していらっしゃいますか?
三宅:心身ともに健やかでいること。これに尽きますね。見落とされがちですが、心のケアも大事です。孤独は喫煙より寿命を縮めるという研究結果も発表されていますから。何でもいいので、人と人が繋がりをもてるような趣味や、居心地のよいコミュニティを探してみるのも良いのではないでしょうか。スポーツ観戦やゲーム、ライブ配信なんかも、お勧めですよ!
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